何話す?

ここはヒリピン・・日本じゃないんだねぇ・・爆

(´ρ`)ノ SSSだって・・

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(´ρ`)ノ 朝出かけるときはしっかり雨降ってやがりまして

悲しかったおいらであります

今は、曇り空ですがあじいのでありますw

そんななか早くから マカティーの本社なんぞに赴きまして

こっちの保険SSSなるものの申請にいってきたのでございます

更新が遅くなりまして申し訳ないですぅぅぅぅぅ



どうなりますやら

明日はビザの件で労働省 ドールに行く予定が立っておりまして

こちらもどうなりますやら・・・

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今日の何飲む

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ジャパニーズウイスキー
シングルモルト

余市です


これはサントリーではなく


ニッカウヰスキーの最高の一品です
今までサントリーばかり紹介してたので・・・・・爆



北緯43度。
日本海と余市川が出会う河口近く。
冷たく澄んだ北の空気と、
朝夕の霧に包まれる余市蒸溜所。
石炭の粉が火にはじけ、
まばゆい炎とともに
余市のモルトウイスキーが
産声を上げています。

潮風が届く貯蔵庫で眠り、熟成を経た
「シングルモルト余市」。
「石炭直火蒸溜」由来の豊かな香り。
力強く、重厚な味わい。
北の自然と創業以来の伝統製法が生み出す、
ニッカの原点ともいえる
シングルモルトウイスキーです。


ニッカウヰスキーHPより



前に、サントリー角 のときに説明した

鳥井氏と竹鶴氏のウイスキーの話





ニッカウヰスキー編・・・長くなりますごめんなさいね



彼は口癖のように、こう言う



スコッチに匹敵するウイスキーを日本でつくりたい。



竹鶴は広島の造り酒屋に生まれた。
竹鶴には2人の兄がいたが、どちらもそれぞれの道を歩んでいたので、家業を継ぐのは竹鶴のはずであった。
家業を継ぐべく大阪高工で醸造を学んだが、日本酒ではなく洋酒に興味を持ち始め、
卒業を待たず当時の日本の洋酒業界の雄“摂津酒造”へ押しかけ入社を果たす。


摂津酒造に入社後、竹鶴はウイスキーづくりの魅力にとりつかれ、寝食を忘れて働き続ける。
その甲斐あって、入社後間もなく主任に抜擢される。

当時摂津酒造で手がけていた寿屋(現・サントリー)の「赤玉ポートワイン」を竹鶴が担当した年、
各地で葡萄酒の瓶が破裂する事件が相次いだ。
不充分な殺菌のため、中で生き残っていた酵母が暑さで発酵してしまったことによる。

しかし、「赤玉ポートワイン」だけは破裂せず、その高品質が広く知られることとなった。
寿屋の鳥井社長は後に竹鶴を自社に招き入れることになるが、
この時に優秀な技師・竹鶴の名前を覚えたのかもしれない。

当時の洋酒は葡萄酒にしてもウイスキーにしても、中性アルコールに甘味料や香料、
カラメル色素などを加えたイミテーションが主流であった。
しかし竹鶴がこうしたものに満足できるはずもなかった。

彼の興味はより本物のウイスキーを求め始めた。
竹鶴は絶えず本場スコットランドのスコッチウイスキーを目標に、仕事に取り組んできた。
寿屋時代に山崎工場で国産第一号のウイスキー「白札サントリー」が生まれた時も、
まずはその原酒のサンプルをスコットランドに持っていき、
恩師イネス博士の意見を聞き、問題点を反省した。

「白札サントリー」は熟成が足りないという欠点もあったが、
何よりウイスキーに馴染みの薄い日本人にはなかなか受け入れられなかった。

負けん気の強い竹鶴は、この後ますますスコッチに負けないウイスキーづくりへとのめりこんでいく。
やがて竹鶴の夢は理想のモルトを求めて北の大地、北海道余市に移った。
不惑の歳、40歳である。

ようやく理想の環境を得た竹鶴は、人生をかけウイスキーづくりに打ち込んでいく。
しかし経営はなかなかうまくいかず、
借金はどんどん増えてしまう。竹鶴は金策に奔走しつつ、熱心に自分のウイスキーづくりに取り組んでいたが、
そんな竹鶴の気づかないうちに国際情勢は緊迫していく。

ところが、第2次世界大戦が始まり、
外国からの洋酒の輸入が禁止されたことは、ある意味でウイスキー事業には好都合となった。

軍隊で将校たちが飲む酒を製造するために、原料である大麦などの配給も優先的に受けることができたからだ。
皮肉なことに、辛い生活を余儀なくされた戦争が、ウイスキー事業を軌道に乗せたのだった。

しかし状況は厳しさをどんどん増していく。
日本の敗戦が色濃くなるにつれて、余市の周辺にも米軍の爆撃機が飛来し、常に空襲の恐怖にさらされた。
竹鶴は醸造したウイスキーの原酒を辛抱強く貯蔵庫に寝かせていたが、
その貯蔵庫が爆撃を受けてしまえばこれまでの努力も水泡に帰してしまう。

竹鶴は空襲の際にも防空壕に入らず、
入口にじっと立って念じるような気持ちで貯蔵庫を見守り続けた。
幸い貯蔵庫は爆撃の難を逃れ、終戦を迎える。

戦後も混乱の中で進駐軍の視察など気をもむ出来事があったが、
竹鶴は持ち前の精神力で切りぬけ、周りの人々にも勇気を与え続けたのだった。

困難な時代を耐え抜くことができたのも、
ひとえに「日本で本格的なスコッチウイスキーをつくるのだ」という思いの強さゆえであろう。


そしてニッカウヰスキーは今4代目 久光チーフブレンダーの元

ニッカウヰスキー初の蒸留所の名前を取った酒なのであります

彼のこの酒の紹介の台詞に

・ウイスキーの風味を作るのは風
・石炭による直火醸造をつづける
 スコットランドにも直火醸造はもうない
 火加減が難しい

このような話が出てきたことを思い出されます

すっきりシャープな味わい
こいつは

何もいらない
ストレートで飲むのをお勧めしまふ

つまみはチョコがうまいですよ



(´ρ`)ノ 明日もこうしんおそくなるかもしれません・・・みすてないでねぇぇぇぇぇぇ









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  1. 2010/11/25(木) 15:11:03|
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  4. | コメント:2
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コメント

なるほどねぇ

道理で日本のウイスキーは『スコッチ風』だと思ってた

やはり、スコッチを真似て日本ウイスキーを作っただろう までは想像出来たけど、それが裏付けられたカタチだな!
  1. URL |
  2. 2010/11/25(木) 20:13:56 |
  3. 裂空ミスキタ #-
  4. [ 編集 ]

Re: なるほどねぇ

> 道理で日本のウイスキーは『スコッチ風』だと思ってた
>
> やはり、スコッチを真似て日本ウイスキーを作っただろう までは想像出来たけど、それが裏付けられたカタチだな!


いまはすっかり 使っている樽や環境が違うので
今回のこれも製法が違うので

だいぶ変わってきましたけどね

基本は同じということですね

  1. URL |
  2. 2010/11/26(金) 12:16:55 |
  3. とろ #-
  4. [ 編集 ]

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とろでございます

auu.toro

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(´ρ`)ノども
2009年からブログをはじめ
今はこうしてヒリピンに住んでおります

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